第4号
「父と蕎麦の香り」
梅田みか
わたしの父、梅田晴夫は外食が好きな人であった。家ではほとんど何も食べずに酒を飲んでいる方が多かったが、ふらりと散歩に出た先では楽しそうに食事をした。わたしも今父と同じ仕事に就いてわかるのだが、外に出ることで気分転換が出来たせいであろう。
 母が不在のときなど、父とふたりの昼食はほとんど外食だった。何が食べたいと訊かれても明確な意思のないわたしの手を引いて、父は蕎麦屋ののれんをくぐる。自宅近くにあった蕎麦屋の重厚な椅子に座ると、何も言わないのに父の前にお銚子が二本、ぽん、と置かれるのが不思議でならなかった。父が注文するのは必ずざるそばで、わたしもそれに倣った。父と食べる蕎麦はいつも日本酒の匂いがして、とても美味だった。
 ふたりして上機嫌で家に帰ると、帰宅した母にわたしだけが叱られた。わたしが蕎麦を食べたいなどと言うから父が昼から酒を飲んでしまうのだ、と母は言った。わたしは半分意味がわからないまま黙って小言を受けた。そんなとき、父とわたしは甘い共犯関係にいるようで、誇らしい気持ちがしたものだ。
 十五歳で父が死んだ。蕎麦屋を訪れる機会はめっきり減り、そのどこか大人びた香しさはわたしの中で薄れつつあった。十年後、わたしははじめてひとりで蕎麦屋に入った。ひとりきりの蕎麦はほんの少しだけせつない大人の味がした。それ以来、蕎麦はわたしの日常となった。けれど今でも、蕎麦屋の日本酒だけは、まだ頼めないでいる。

梅田みか (うめだみか) 作家・脚本家
1965年東京生まれ。作家・故梅田春夫の長女 小説・「別れの十二か月」、「愛された娘」共に角川書店 脚本・映画「花より男子」、ドラマ「半熟卵」他

句や歌の中の蕎麦(三)

蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな

これは松雄芭蕉、元禄7年の秋の句です。芭蕉を慕ってはるばる伊賀の山家へ訪ねてきた弟子の斗従(とじゅう)へ“せっかく来てもらったのだから、蕎麦でもごちそうしたい。しかし、残念なことに蕎麦はまだ花の最中。せめて花の美しい眺めだけでも楽しんでいってほしい。”という気持ちを詠んでいます。絶えず旅に憧れ、旅を愛し、そのたびに優れた紀行文を残した芭蕉です。わざわざ伊勢から伊賀まで訪ねてくれた斗従に対して、旅の疲れを癒す、最高のもてなしをしたかったのでしょう。 残念なことに蕎麦での歓迎はかなわなかったようですが、斗従に対する親愛感が感じられ、芭蕉のあたたかい、もてなしの心が伝わってくる一句となっています。
そばはなぜのびるのか
しゃっきっとした歯ごたえを楽しむそば。でも、その食べ頃がすぎてしまうとコシがなくなってしまいます。それを称して「そばがのびた」といいます。その理由は、そばの中に含まれているタンパク質が水溶性だから。しかも、そのタンパク質は小麦粉のように編目構造を持っていないので、茹でられた後は麺の中心まで均一に水分が行き渡り、全体が柔らかくなってしまうのです。特に、そばの実の外側にあたる甘皮部というところに、この水溶性タンパク質が多く含まれ、つなぎの少ないそばほど「のび」が早く進みます。コシのあるそばに茹であげるには、充分に沸騰させた湯をたっぷり使って、そば中心部にまで熱を一気に加えることです。そして茹であげた後は、冷水で一気に冷やす。あとは、とにかく早いうちにお召し上がりください。そばは作りたてが、食べ頃なのです。
そば粉を使ってあれこれ
そば粉を使った料理は各国さまざま、フランスではクレープに、ドイツではソーセージの増量剤として、イタリアのサルジニア島ではスパゲッティに使われ、中国では餃子、ロシアでは団子にしてスープの具に、朝鮮半島では冷麺に使われています。 わが国ではそのほとんどがそば切り、つまり麺にされ、食されていますが、そば切り登場以前は主にそばがきや餅・団子にしていました。そばがきはそば粉を水かお湯で練り上げ、しょう油やそばつゆでいただくというシンプルなものですから、そばの香りや風味がよりストレートに味わえるといっていいでしょう。そのそばがきの作り方をご紹介しましょう。 鍋にそば粉1カップを入れます。水1カップを徐々に加え、よく混ぜ合わせます。鍋を火にかけ、すりこぎなどでよくかき回します。固まり始めたら、火を止め、余熱を利用して一気に練り上げます。ヘラや小皿を利用して適量を取り分け、湯を入れた土鍋の中へ。火にかけ沸騰したら出来上がり。薬味を添え、食卓へ。しょう油やそばつゆでお召し上がりください。また、そばがきは蜜やあん、きな粉との相性もよく、おやつやデザートとしてもおいしくいただけます。

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