句や歌の中のそば
(一)
「信州信濃の新そばよりも、わたしゃあなたのそばが良い」という盆踊り唄、聞いた覚えのある方もおありでしょう。これは名物にひっかけた戯れ唄ですが、そばとつき合いの長い日本人のこと、多くの俳句や歌が、そばを題材にして詠まれているのです。
例えば「信濃では月と仏とおらがそば。」信濃の名物をうまく詠みこんだ一茶の句として有名ですが、実は嘘。正しくは、「そば時や月の信濃の善光寺」が一茶の作です。この句をもとに、一茶の「おらが春」をもじって、後の人が信州そばのPR用キャッチフレーズとして作られたものが前者だと言われています。他にも多くの俳句や歌があるのですが、それはまた、次の機会に御紹介しましょう。


(二)
夏目漱石の「我輩は猫である」の一節、「杉箸をむざと付き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた」ところから、迷亭流のそば談義がはじまります。
「この長い奴へツユを三分の一つけて、一口に飲んで仕舞うだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつる咽喉を滑り込む所がねうちだよ」と続くわけですが、漱石自身どんな食べ方をしたか知りたい所です、迷亭の言うように、「ざるは三口半か四口」で食べたのでしょうか。その漱石がそばを詠んだ句を紹介しましょう。
秋雨や蕎麦をゆでたる湯の臭ひ 漱石

蕎麦太きもてなし振や鹿の声  同

熊本時代の作で、田舎におけるそばのもてなしを詠んだものでしょう。

(三)
蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな

これは松雄芭蕉、元禄7年の秋の句です。芭蕉を慕ってはるばる伊賀の山家へ訪ねてきた弟子の斗従(とじゅう)へ“せっかく来てもらったのだから、蕎麦でもごちそうしたい。しかし、残念なことに蕎麦はまだ花の最中。せめて花の美しい眺めだけでも楽しんでいってほしい。”という気持ちを詠んでいます。絶えず旅に憧れ、旅を愛し、そのたびに優れた紀行文を残した芭蕉です。
わざわざ伊勢から伊賀まで訪ねてくれた斗従に対して、旅の疲れを癒す、最高のもてなしをしたかったのでしょう。 残念なことに蕎麦での歓迎はかなわなかったようですが、斗従に対する親愛感が感じられ、芭蕉のあたたかい、もてなしの心が伝わってくる一句となっています。


(四)
大仁にて越年
ゆく年や蕎麦にかけたる海苔の艶
久保田万太郎

作者は東京浅草生まれ。 下町の生活と情緒を愛し、好んで市井人の生活を書いた作家・劇作家・俳人です。浅草神社(三社様)の境内に句碑がある「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」の句は有名。また、「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」に代表されるような食べ物に関する句も多く詠んでいます。戸板康二氏の著書「万太郎俳句評釈」(富士見書房)によれば、「万太郎はそばが好きで、(中略)そばの食べ方は、さすがに東京人らしく上手で、せっかちであった。」と、
そして、そばの句、
蓮玉庵主人に示す。
蓮枯れたりかくててんぷら蕎麦の味

また、次のような句もあります。
神田連雀町薮蕎麦にて病後の花柳章太郎とありて
らんぎりのうてる間まつや若楓

らんぎりとは、玉子の黄身をつなぎにして打った変わりそば。連雀町とあるのは現在の淡路町のことです。病み上がりの新派の名優に気を使い、好きなお酒も我慢して、庭でも眺めながら、らんぎりを待っていたのでしょうか。万太郎の優しさも垣間見えるような、昭和初めの一句です。

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